2019-04-10 第198回国会 衆議院 国土交通委員会 第5号
当時は、当時というのはアイヌ文化振興法が制定されたそのときは、閣法ではありましたけれども、しかし、参議院議員であられた萱野茂さん、アイヌ出身の方、この方の活動、動きも大きかったんじゃないかなということも推察はいたしますけれども、この九〇年代に制定されたアイヌ文化振興法の経緯とか背景について、あるいはこの歴史の重みといいましょうか、そういったことについて、大臣、どのように認識されているでしょうか。
当時は、当時というのはアイヌ文化振興法が制定されたそのときは、閣法ではありましたけれども、しかし、参議院議員であられた萱野茂さん、アイヌ出身の方、この方の活動、動きも大きかったんじゃないかなということも推察はいたしますけれども、この九〇年代に制定されたアイヌ文化振興法の経緯とか背景について、あるいはこの歴史の重みといいましょうか、そういったことについて、大臣、どのように認識されているでしょうか。
平成九年四月の参議院内閣委員会の審議において、アイヌ出身の萱野茂議員が質疑を行うなど、法案成立に大きく寄与されたものと承知をしております。
かつて参議院議員であった萱野茂氏は、私にアイヌの英知を教えてくれました。太陽と森と大地があれば生きていくことができる。私たちは、太陽の光を地球温暖化ガスで変質させ、森の木々を営利をむさぼるために切り倒し、手を加えることなく森を荒廃させ、大地を化学物質で汚染してきました。
レジュメの①から⑭までの資料でございますけれども、ここには私どもの先輩でありました萱野茂参議院議員、今はお辞めになっておりますけれども、おかげさまをもちまして、村山内閣のときにアイヌ文化振興法が成立させていただきました。
かつてこちら、参議院議員でありました私どもの先輩の萱野茂さんが長いこと地域の名士としてアイヌと和人との結婚についての仲人を頼まれたそうでありますが、ここずっと二十件を超える仲人で、和人側の親たちが賛成した例は一件もございません。常に和人側からは反対されるという結婚差別が最も典型的なものかとも思われます。 それから、いわゆる就職差別であります。
実際のところ、アイヌ民族初の国会議員であった萱野茂参議院議員が存在したときには、政治過程においても国民的にも注目を集め、アイヌ問題はナショナルイシューとなり、一九九七年にアイヌ文化振興法が制定されるまでに至りましたが、萱野議員が去った後は、アイヌ問題は再び政治の舞台から姿を消した感があります。
原告の萱野茂さんは、最初の口頭弁論において、裁判に臨む心境等をアイヌ語で陳述しようとしました。しかし、裁判長は、アイヌ語による意見陳述を許しませんでした。裁判所法第七十四条は、「裁判所では、日本語を用いる。」と定めております。アイヌ語は日本国内で話される外国語なのです。言語学的には、アイヌ語は日本語と全く異なりますし、法廷のだれもが理解できない言語なのです。
松 あきら君 委 員 井上 裕君 釜本 邦茂君 世耕 政隆君 田沢 智治君 野沢 太三君 長谷川道郎君 江本 孟紀君 萱野 茂
(拍手) なお、この委員会を最後に萱野茂先生は政界から御勇退をされますけれども、本委員会では本当に御熱心に御出席をいただき、大変貴重な御意見も賜ったところでございます。 引退後もどうぞ健康に御留意をされまして、ますます社会のためにいろいろと御寄与をいただきますことを心からお祈り申し上げる次第でございます。(拍手) 本日はこれにて散会いたします。
また、通常選挙を控えまして、長い間本委員会のために御尽力をいただきました板垣正先生、高木正明先生、鈴木和美先生、志村哲良先生、萱野茂先生の方々は、今国会をもちまして御勇退され、後進に道をお開きになると承っております。 板垣先生、高木先生、鈴木先生のお三方は四期二十四年間、志村先生は二期十二年間、また萱野先生は一期でございます。
笹野 貞子君 福本 潤一君 委 員 板垣 正君 尾辻 秀久君 鈴木 正孝君 高木 正明君 長峯 基君 楢崎 泰昌君 萱野 茂
平成十年六月十七日(水曜日) 午後零時四十分開会 ————————————— 委員の異動 五月二十九日 辞任 補欠選任 馳 浩君 大木 浩君 萱野 茂君 前川 忠夫君 六月一日 辞任 補欠選任 大木 浩君 中曽根弘文君 六月四日 辞任 補欠選任
去る五月二十九日、馳浩君及び萱野茂君が委員を辞任され、その補欠として大木浩君及び前川忠夫君が選任されました。 また、去る一日、大木浩君が委員を辞任され、その補欠として中曽根弘文君が選任されました。 また、去る十五日、木庭健太郎君が委員を辞任され、その補欠として海野義孝君が選任されました。 —————————————
平成十年六月十七日(水曜日) 午後零時二分開会 ————————————— 委員の異動 六月八日 辞任 補欠選任 萱野 茂君 千葉 景子君 菅野 久光君 峰崎 直樹君 六月十一日 辞任 補欠選任 竹村 泰子君 広中和歌子君 平田 健二君 直嶋 正行君 六月十二日
平成十年六月八日(月曜日) 午後一時開会 ————————————— 委員の異動 五月二十日 辞任 補欠選任 小川 勝也君 峰崎 直樹君 萱野 茂君 千葉 景子君 五月二十九日 辞任 補欠選任 平田 健二君 前川 忠夫君 六月一日 辞任 補欠選任
平成十年六月四日(木曜日) 午後一時三十一分開会 ――――――――――――― 委員の異動 五月二十八日 辞任 補欠選任 長谷川道郎君 松浦 孝治君 萱野 茂君 前川 忠夫君 五月二十九日 辞任 補欠選任 松浦 孝治君 長谷川道郎君 前川 忠夫君 萱野 茂君
山下 芳生君 高橋 令則君 委 員 石渡 清元君 亀谷 博昭君 小山 孝雄君 武見 敬三君 宮澤 弘君 小川 勝也君 萱野 茂
馳 浩君 小林 元君 松 あきら君 委 員 井上 裕君 世耕 政隆君 田沢 智治君 長谷川道郎君 江本 孟紀君 萱野 茂
牛嶋 正君 五月二十七日 辞任 補欠選任 小山 孝雄君 倉田 寛之君 中曽根弘文君 大木 浩君 牛嶋 正君 海野 義孝君 木庭健太郎君 加藤 修一君 五月二十八日 辞任 補欠選任 大木 浩君 馳 浩君 前川 忠夫君 萱野 茂
平成十年五月二十八日(木曜日) 午前十時開会 ————————————— 委員の異動 五月二十六日 辞任 補欠選任 吉岡 吉典君 笠井 亮君 五月二十七日 辞任 補欠選任 萱野 茂君 峰崎 直樹君 和田 洋子君 伊藤 基隆君 海野 義孝君 牛嶋 正君
また、昨日、萱野茂君、和田洋子君及び海野義孝君が委員を辞任され、その補欠として峰崎直樹君、伊藤基隆君及び牛嶋正君が選任されました。 —————————————
平成十年五月二十七日(水曜日) 午後一時開会 ————————————— 委員の異動 五月二十六日 辞任 補欠選任 萱野 茂君 峰崎 直樹君 松 あきら君 魚住裕一郎君 山下 栄一君 山本 保君 五月二十七日 辞任 補欠選任 峰崎 直樹君 萱野 茂君
北岡 秀二君 馳 浩君 小林 元君 松 あきら君 委 員 井上 裕君 釜本 邦茂君 田沢 智治君 野沢 太三君 萱野 茂
補欠選任 松村 龍二君 加藤 紀文君 菅野 久光君 峰崎 直樹君 五月二十五日 辞任 補欠選任 加藤 紀文君 野村 五男君 笠井 亮君 吉岡 吉典君 五月二十六日 辞任 補欠選任 伊藤 基隆君 和田 洋子君 峰崎 直樹君 萱野 茂
平成十年五月二十五日(月曜日) 午前十時開会 ————————————— 委員の異動 五月二十二日 辞任 補欠選任 須藤良太郎君 金田 勝年君 小川 勝也君 一井 淳治君 萱野 茂君 竹村 泰子君 吉岡 吉典君 山下 芳生君 ————————————— 出席者は左のとおり
委員の異動 四月三十日 辞任 補欠選任 斎藤 文夫君 海老原義彦君 鈴木 省吾君 鎌田 要人君 五月十五日 辞任 補欠選任 沓掛 哲男君 松村 龍二君 五月二十一日 辞任 補欠選任 一井 淳治君 小川 勝也君 竹村 泰子君 萱野 茂